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説教とは…

プロテスタント教会において説教(聖書のお話)は礼拝の中心部分です。その日の聖書箇所を通して、イエス・キリストによってもたらされた神様の愛、罪の赦し、わたしたち人間が生きて行くために欠かすことのできない希望が語られます。礼拝の中で、神様の愛を受けて、神様の愛を携えて、希望を抱いて、それぞれの場へと遣わされたいと願っています。

​説教の録音

2024/06/09 花の日・こどもの日礼拝

​マタイによる福音書6章28節

「神様の愛」

20240609花の日説教
00:00 / 14:26

2024/05/19 ペンテコステ礼拝

​使徒言行録2章1~11節

「一同は聖霊に満たされた」

2024ペンテコステ礼拝説教
00:00 / 32:19

​説教要旨

2026/02/22(日) 受難節第1主日 

「荒れ野の誘惑」  マルコ1章12~15節

 受難節の第1主日は荒れ野でのサタンの誘惑から始まります。サタンの誘惑を受ける前イエスは洗礼を受けておられます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。同じようにわたしたちも洗礼を受けて神から受け入れられ、そこから信仰生活は始まります。洗礼を受けて信仰生活を始めた者はどういう道を歩むか。荒れ野でサタンの誘惑を受けることになります。サタンの誘惑とは神から引き離そうとする力です。神以外のものに心を奪われ、心も言葉も行いも神から引き離されてしまうことです。それは生涯最後の時まで続きます。もう教会なんていかなくていい。神様なんて信じなくていい。神様なんて本当はいないのだ。そのような誘惑は生涯続いていきます。そして、そのような思いを抱いて離れて行く人は少なくありません。

 荒れ野の誘惑は旧約聖書における出エジプトの出来事を思い起こさせられます。モーセはイスラエルの民をエジプトから脱出させました。イスラエルの民はエジプトの王ファラオの苦しみから解放されて喜びました。しかし、その後40年もの間、荒れ野をさ迷うことになります。これは神から引き離そうとする力、誘惑と戦い続ける旅でした。イスラエルの民はこんな過酷な旅に出るのではなかった。お腹が空いた、のどが渇いたとモーセに不満をぶつけます。モーセはイスラエルの民の不満をうけとめながら40年導きました。なぜ40年もの間、荒れ野の旅を続けなければならなかったのでしょうか。

 40年もの間、旅を続けた後、この旅を振り返ってモーセは言いました。「主はあなたを苦しめ、餓えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。試練が襲ってきた時、悪魔の誘惑を受けた時、最後わたしたちの拠り所となるのは神の言葉です。そして、神の言葉は教会でしか語られません。礼拝でしか聴くことはできません。神の言葉をいただいて新しい命を受けて、そしてわたしたちは、それぞれの場へと遣わされて行くのです。

 この世界は神がいないように思える世界です。世界を知れば知るほど神などいない、教会など何の役にも立たない。あってもなくても同じである。わたしたちも、この世的な価値観に流されてしまいそうになります。しかし、イエスが40日もの間サタンの誘惑を受けた後、最後は神の言葉によって誘惑を退けられました。またモーセとイスラエルの民もまた荒れ野の40年の旅を終えて、最後は神の言葉へとたどり着きました。わたしたちも、イエスが尊い命を引き換えに、残してくださった神の言葉を受け止め、教会に留まり続けることによって、この世のありとあらゆる誘惑、神から引き離そうとする力に負けないように、歩んで行きたいと思います。

2026/01/20(日) 降誕節第5主日 

 

「権威ある新しい教え」  マルコ1章21~28節

人々はイエスの教えに非常に驚いたとあります。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからです。では権威ある者としての教えとは何か。それは汚れた霊を追い出すことができる力を伴った教えです。イエスが伝道を始める時にこう宣言されました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」これからは神がわたしを支配して下さる。では、その前は何が支配していたというと汚れた霊です。汚れた霊とは、ひと言で言えば、神から引き離そうとする、ありとあらゆる力です。汚れた霊、悪霊は、いかにもこれが悪霊だという風に、わかりやすくはやってきません。むしろこれなら大丈夫だろう、これだったら心配ない、そのように信頼させて知らないうちに悪の道に引きずり込んでいくのが悪霊の力です。

だれもが平和を望んでいるのに戦争を止めることができない。悪いとはわかっていても辞めることができない。いじめも差別もよくないと、誰もが分かっているのになくならない。これは聖書の言葉でいうと、今の世界をおおっている悪霊と言ってもよいと思います。イエスは悪霊ではなく神に支配されなさい。神に立ち帰りなさい。悔い改めて福音を信じなさい、と仰られています。わたしたちは神様か引き離そうとする悪霊の力を断ち切って教会に導かれた。わたしたちは悪霊ではなく、神に導かれています。

パウロはロマ書の中で、神に従いたくても従うことのできないみじめな自分の心を描いています。善を行おうと思っても実行できない。それどころか悪を行っている。自分でも自分をどうしていいかわからない。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」そこまで追い詰められて、そしてそこで突然、最後、感謝の言葉が出てきます。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。」

 

自分ではどうすることもできない不安や罪、汚れた霊に支配され、病に苦しみ、生きていくことに希望が抱くことのできない人々、そういう人たちの所にイエスは近づいてこられました。そういうあなたがたの所に神の国は来ていると宣言されました。汚れた霊に取りつかれたような者であっても、イエスの権威ある新しい教えによって、すでに神の国に招かれ、新しい一歩を歩み始めることができます。権威ある新しい教えは、復活のキリストと共に今も生きている。悪霊は追い出され、神の国がもたらされる業は今も続き、教会はその業を委ねられています。神の権威ある新しい教え、イエスの言葉は、既にわたしたちのもとに届けられている。神の国、神の愛はすでに届いている。世の多くの人たちが見失っているもの、わからなくなっている大切なもの、神様の愛をわたしたちはこれからも伝えていきたいと思います。

​2025/12/28(日)降誕節第1主日

 

「博士たちの礼拝」 マタイによる福音書2章1~12節

 降誕節第1主日を迎えました。教会の暦では12月24日にクリスマス・イヴ礼拝をささげた後もそのお祝いの季節が続いていきます。翌週の日曜日は博士たちの礼拝の箇所です。博士たちが礼拝をする今日の箇所は、東方の3博士の礼拝、というテーマで多くの画家たちがこの場面を描いています。この場面の外してはならないポイントは、ひざまずいて礼拝をささげる博士の姿です。博士たちはこう言っています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその星を見たので、拝みに来たのです」つまりクリスマスというのは、イエス・キリストを拝むことである。イエス・キリストに対して礼拝をささげること、それこそがクリスマスである。そのことがはっきりと聖書に書かれています。12月という年末も押し迫った慌ただしい時、仕事や家庭やその他のこともいろいろあるにもかかわらず日曜日に礼拝に来る。24日のイヴ礼拝に来る。それは他のものを差し置いてでも、ここに来なければならない何か大切なものがあるからです。その大切なものとはイエス・キリスト以外にはあり得ません。その方がここにおられる。生きる時も死ぬ時もわたしたちを守り導いてくださる。最後まで共に歩んでくださる。そのような方が教会にはおられる。わたしたちが世の人々に提供できるものはクリスマスの礼拝です。

 博士たちがどのくらい長い旅を続けたかはわかりませんが、それほど簡単な道のりではなかったはずです。そうでなければその星を見て喜びにあふれた、などということはなかったはずです。ある日本語訳では「一方ならず、大いなる喜びもて喜べり」と記されています。もう駄目だと思ってあきらめそうになっていた時についに星を見つけた。もうこれで大丈夫である。今までの歩みは無駄ではなかった。あの星についていけば必ず救い主の所にたどり着くはずである。博士たちが星を見つけたこの喜びこそ、クリスマスの喜び、礼拝をささげる喜び、イエス・キリストと出会う喜びです。わたしたちはこの喜びを伝えるためにクリスマスの礼拝をささげています。

どのような暗闇に包まれているように思える世界に置かれても星は輝きます。そのような世界にイエス・キリストはお生まれになられた。クリスマスはもう終わった、というのではなくクリスマスから始まります。イエス・キリストがお生まれになられて、これからこの喜びが伝えられて行く。わたしたちは、これからイエス・キリストの歩みを辿っていくことになります。そして、クリスマスから始まって十字架、復活、聖霊降臨という道、今このクリスマスの時から、イースター、ペンテコステに向かっているということを心に留めて、世の人々にイエス・キリストがこの世界に共におられること、世界は決して人間の罪や悲しみに終わるものではないということを伝えていきたいと思います。

20240505要旨
20240428要旨
20240526

 

日本基督教団 中京教会 

〒461-0011 名古屋市東区白壁3-23-4

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