日本基督教団中京教会
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あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。
(ヨハネによる福音書20章21節)
レント・イースター
受難節(レント)の起源1 ~断食について~
受難節は教会の歴史の中で次第に形成されてきましたが4世紀頃にはほぼ現在の形に定まってきました。受難節には歴史的には2つの要素 ①断食にの期間 ②洗礼の準備期間 によって形成されてきました。今回は断食についてお伝えします。
〔断食の意味〕
断食には霊的な訓練の意味がありました。誘惑への戦いの武器、祈りに集中する機会、神の霊を受ける備えとして重んじられてきました。断食をすることによって他人に食事を提供することも可能で、断食の実践は、隣人愛のしるしであり、またその達成と考えられてきました。
〔断食の起源〕
2世紀には(イエスの十字架の死に対して)喪に服する2日間の断食を行い金曜日から日曜日(復活日)の前夜まで行われていたようです。また3世紀には受難週全体に行われ、月~木は半断食、金、土は完全断食を行ったという記述が残されています。4世紀は復活祭(イースター)前に3週間の断食が行われ、その後「40日間」へと準備期間が増え、広まっていきました。
〔断食の実際〕
宗教的にも医学的にも古代に広く行われた修練の一つでユダヤ教も断食の事例が豊富に残されています。キリスト教徒は「40日間」の断食をしましたが1日のなかで一食(夕食)を制限し、質的な断食がこれに加わります。肉とぶどう酒、牛乳、バター、チーズ、卵を絶ち、金曜日と土曜日とは食事も摂りません。今日、多くの日本のプロテスタント教会において断食の習慣はありませんが…。
以前、ドイツの修道院に宿泊をして夕食の席につきました。宿泊客のドイツ人と隣の席になったのですがその方は食事をしようとはしませんでした。訳を聞いてみると断食をしている、とのことでした。ただ食べていないだけで断食しているようには見えず、普通に食卓に座って会話を交わしていました。受難節を迎えると時折そのことを思い出します。断食をしてもしなくても、今の季節はイエス・キリストの十字架への道、その苦しみを覚える時です。そして、そのご受難は何よりもわたしたちの救いのためであったことを心に刻みながら、この時を過ごしたいと思います。
受難節(レント)の起源2~洗礼の準備について~
受難節は1年の教会の暦の中でもっとも大切にされてきました。受難節は2つの要素によって歴史的に形成されてきました。一つは断食で、もう一つは洗礼の準備です。受難節に入ると「洗礼志願者」は洗礼の準備に入ります。4世紀頃、洗礼は1年に1度、イエス・キリストの復活を記念する復活日(イースター)だけでした。またキリスト教はまだ公に認められてはおらず、迫害を受けていた時代で、洗礼志願の期間は3年間に及びました。迫害下で裏切る者、脱落する者が出ないように十分な訓練と試問を経て洗礼へと導かれました。
当時の礼拝は1部「言葉の礼拝(説教)」、2部「感謝の礼拝(聖餐)」に分かれていました。受洗志願者は1部のみに参加して祈りと祝福を受けた後、退出します。その後キリスト者のみで「感謝の礼拝」が行われます。当時の礼拝では洗礼志願者は「感謝の礼拝」の時に行われる聖餐に与かることなく退出していました。
洗礼志願者は、受難節の季節、洗礼を受けるために学びと訓練の時をもちます。特に、受難節の第3、第4、第5日曜日には「試問」が行われます。
・第3主日:悪魔と悪霊払い:悪魔の王国からキリストの王国へ
・第4主日:「福音書」「信仰告白」「主の祈り」が教えられる
・第5主日:洗礼の誓約、悪魔の拒否(土曜日の朝に最後の試問)
洗礼を受けることによって悪魔の支配から神の支配へ移さること、新しく生まれ変わることが教えられ、洗礼の意志を繰り返し確認されました。当時の教会においては、洗礼を受けることは迫害を受ける危険、地域の共同体からの孤立、そのような艱難と隣り合わせでしたので、洗礼を受けるための十分な準備と覚悟が求められていました。
・あなたは、これまでの罪の道から離れ、洗礼を通して、この世を支配する悪の
力を退けることを望みますか。
・あなたは、イエス・キリストを自分の主また救い主として受け入れ、その恵み
と愛に依り頼むことを誓いますか。
・あなたは、キリストの忠実な弟子となって、その御言葉にしたがい、生涯、キ
リストの愛の証人となることをこころざしますか。
(日本基督教団式文より)
受難節はイエス・キリストの十字架への道、ご受難を覚える時ですが、それと同時に自らの洗礼、自らの信仰を今一度、振り返る時でもあります。初代教会の洗礼の準備に思いをよせ、イエス・キリストの十字架と復活から教会が生まれたこと、教会を通して信仰が受け継がれこと、そして、わたしたちのもとへ信仰が伝えられ、洗礼へと導かれたことを思い起こしたいと思います
受難週について
3月24日は棕櫚の主日の礼拝です。子どもたちが賛美歌21-308番「栄光と賛美と誉れ」を歌いながら棕櫚の葉をもって入場します。8世紀頃のエルサレムの教会での受難週の礼拝に‘入城行進’の由来があるようで、当時は礼拝の中で十字架、聖書、聖餐式のパン、キリストの像などをろばに乗せて運んだようです。今も教会暦を重んじる教会では棕櫚の主日においてイエスのエルサレム入城(街は城壁に囲まれているので入城と言います)の場面を思い起こし、礼拝に取り入れている教会は少なくありません。
イエスは多くの人々の歓声によって受け入れられました。日曜日にエルサレムに入城されて、木曜日に弟子たちと最後の食事をされました。今週の木曜日はイエスと弟子たちとの最後の食事(聖餐式の起源)を覚えて、受難週聖餐式を行います。その後、イエスはゲッセマネの園に行き「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られた後、弟子の裏切りによって捕らえられます。裁判が行われるのですが、ポンテオ・ピラトは人々の「十字架につけろ」という声に屈してイエスの無実を知りながら死刑の判決を下します。そして十字架につけられます。
最後は弟子たちも逃げてしまいました。希望も救いもなくイエスは“罪人”として空しく十字架で殺されてしまいます。これが受難週に起こった出来事です。しかし、そこから救いは始まりました。イエスは甦られ、弟子たちは教会を建て、救いの出来事は世界中に伝えらえています。教会は受難週を1年の中で最も大切な時として覚えてきました。受難週の聖書の参考箇所は以下の通りです。
わたしたちの罪を赦し、神様の愛を伝えるために、イエス・キリストは十字架への道を歩まれたことを覚えて受難週の時を過ごしたいと思います。
聖霊降臨(ペンテコステ)
聖霊降臨祭(ペンテコステ)について
〔ペンテコステの出来事〕
教会の暦では1年のうち3回大きな記念日があります。一つはイエス・キリストの誕生を祝うクリスマス(降誕日)。二つ目は十字架の上で殺されたイエス・キリストの復活を祝うイースター(復活日)。そして聖霊降臨日です。ペンテコステは、ギリシア語で「50」という意味です。使徒言行録2章1節に「五旬祭」という言葉がでてきます。この元のギリシア語の言葉が「ペンテコステ」です。イエス・キリストは復活された後、40日にわたって弟子たちに現れ、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と約束された後、天に上られました。その10日後、弟子たちが集まっていると、陰しい風が吹いて、家中に響き、炎のような舌が現れ、一人一人の上にとどまります。すると、弟子たちは、聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、話し出します。
〔教会暦〕
この使徒言行録2章の記事の聖霊降臨の出来事は、4世紀の終わり頃、教会の暦に取り入れられるようになりました。使徒言行録では、この後、聖霊の力を受けた弟子たちが山を越え、海を渡り、様々な困難を乗り越えて教会を建てていきます。聖霊が降ったことによって伝道が始まったので、聖霊降臨日(ペンテコステ)は、しばしば「教会の誕生日」と説明されます。聖霊降臨日の典礼色は赤です。典礼色は季節によって教会の暦に合わせて12世紀に定められました。聖霊降臨日は弟子たちの上に降った「炎のような舌」を現わす「赤」となります。ペンテコステの後、教会の暦は「復活節」⇒「聖霊降臨節」へと移り、教会が聖霊で満たされ、教会の成長と発展を願う季節となります。「聖霊降臨節」が終わると教会の1年の暦は一回りして「待降節」(アドヴェント)に戻り新しい暦が始まります。
〔聖霊とは〕
聖霊は聖書では「息」「霊」「風」によって表現されています。神が命の息を吹き入れて、人は生きる者となった。(創世記2:7)に記されているように、人間は神の霊を受けて初めて人間らしく生きることができます。目に見えるものに心を奪われがちですが、聖書は、目に見えない大切なもの、によって、守られ、支えられて、愛されていることを告げています。目には見えない聖霊が、教会に、わたしたち一人一人に、生きる力と希望と勇気を与えてくださることを心に留めたいと思います。