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​教会暦について

キリスト教の暦を教会暦と呼びます。良く知られているクリスマスもその一つです。礼拝の聖書箇所は教会暦に従って選ばれ、季節の移り変わりの中でイエス・キリストの示された教えを思い起こします。各季節にはどんな精神性があるのかご紹介いたします

​待降節(アドヴェント)

降誕日(クリスマス)

​冬

​聖霊降臨日(ペンテコステ)

​聖霊降臨節

  ​初夏~

​レント・イースター

 受難節(レント)の起源1 ~断食について~ 

受難節は教会の歴史の中で次第に形成されてきましたが4世紀頃にはほぼ現在の形に定まってきました。受難節には歴史的には2つの要素 ①断食にの期間 ②洗礼の準備期間 によって形成されてきました。今回は断食についてお伝えします。

 

〔断食の意味〕

断食には霊的な訓練の意味がありました。誘惑への戦いの武器、祈りに集中する機会、神の霊を受ける備えとして重んじられてきました。断食をすることによって他人に食事を提供することも可能で、断食の実践は、隣人愛のしるしであり、またその達成と考えられてきました。

 

〔断食の起源〕

2世紀には(イエスの十字架の死に対して)喪に服する2日間の断食を行い金曜日から日曜日(復活日)の前夜まで行われていたようです。また3世紀には受難週全体に行われ、月~木は半断食、金、土は完全断食を行ったという記述が残されています。4世紀は復活祭(イースター)前に3週間の断食が行われ、その後「40日間」へと準備期間が増え、広まっていきました。

 

〔断食の実際〕

宗教的にも医学的にも古代に広く行われた修練の一つでユダヤ教も断食の事例が豊富に残されています。キリスト教徒は「40日間」の断食をしましたが1日のなかで一食(夕食)を制限し、質的な断食がこれに加わります。肉とぶどう酒、牛乳、バター、チーズ、卵を絶ち、金曜日と土曜日とは食事も摂りません。今日、多くの日本のプロテスタント教会において断食の習慣はありませんが…。

 

以前、ドイツの修道院に宿泊をして夕食の席につきました。宿泊客のドイツ人と隣の席になったのですがその方は食事をしようとはしませんでした。訳を聞いてみると断食をしている、とのことでした。ただ食べていないだけで断食しているようには見えず、普通に食卓に座って会話を交わしていました。受難節を迎えると時折そのことを思い出します。断食をしてもしなくても、今の季節はイエス・キリストの十字架への道、その苦しみを覚える時です。そして、そのご受難は何よりもわたしたちの救いのためであったことを心に刻みながら、この時を過ごしたいと思います。

受難節(レント)の起源2~洗礼の準備について~ 

受難節は1年の教会の暦の中でもっとも大切にされてきました。受難節は2つの要素によって歴史的に形成されてきました。一つは断食で、もう一つは洗礼の準備です。受難節に入ると「洗礼志願者」は洗礼の準備に入ります。4世紀頃、洗礼は1年に1度、イエス・キリストの復活を記念する復活日(イースター)だけでした。またキリスト教はまだ公に認められてはおらず、迫害を受けていた時代で、洗礼志願の期間は3年間に及びました。迫害下で裏切る者、脱落する者が出ないように十分な訓練と試問を経て洗礼へと導かれました。

当時の礼拝は1部「言葉の礼拝(説教)」、2部「感謝の礼拝(聖餐)」に分かれていました。受洗志願者は1部のみに参加して祈りと祝福を受けた後、退出します。その後キリスト者のみで「感謝の礼拝」が行われます。当時の礼拝では洗礼志願者は「感謝の礼拝」の時に行われる聖餐に与かることなく退出していました。

 

洗礼志願者は、受難節の季節、洗礼を受けるために学びと訓練の時をもちます。特に、受難節の第3、第4、第5日曜日には「試問」が行われます。

・第3主日:悪魔と悪霊払い:悪魔の王国からキリストの王国へ

・第4主日:「福音書」「信仰告白」「主の祈り」が教えられる

・第5主日:洗礼の誓約、悪魔の拒否(土曜日の朝に最後の試問)

洗礼を受けることによって悪魔の支配から神の支配へ移さること、新しく生まれ変わることが教えられ、洗礼の意志を繰り返し確認されました。当時の教会においては、洗礼を受けることは迫害を受ける危険、地域の共同体からの孤立、そのような艱難と隣り合わせでしたので、洗礼を受けるための十分な準備と覚悟が求められていました。

・あなたは、これまでの罪の道から離れ、洗礼を通して、この世を支配する悪の

力を退けることを望みますか。

・あなたは、イエス・キリストを自分の主また救い主として受け入れ、その恵み

と愛に依り頼むことを誓いますか。

・あなたは、キリストの忠実な弟子となって、その御言葉にしたがい、生涯、キ

リストの愛の証人となることをこころざしますか。

(日本基督教団式文より)

受難節はイエス・キリストの十字架への道、ご受難を覚える時ですが、それと同時に自らの洗礼、自らの信仰を今一度、振り返る時でもあります。初代教会の洗礼の準備に思いをよせ、イエス・キリストの十字架と復活から教会が生まれたこと、教会を通して信仰が受け継がれこと、そして、わたしたちのもとへ信仰が伝えられ、洗礼へと導かれたことを思い起こしたいと思います

​受難週について

3月24日は棕櫚の主日の礼拝です。子どもたちが賛美歌21-308番「栄光と賛美と誉れ」を歌いながら棕櫚の葉をもって入場します。8世紀頃のエルサレムの教会での受難週の礼拝に‘入城行進’の由来があるようで、当時は礼拝の中で十字架、聖書、聖餐式のパン、キリストの像などをろばに乗せて運んだようです。今も教会暦を重んじる教会では棕櫚の主日においてイエスのエルサレム入城(街は城壁に囲まれているので入城と言います)の場面を思い起こし、礼拝に取り入れている教会は少なくありません。

イエスは多くの人々の歓声によって受け入れられました。日曜日にエルサレムに入城されて、木曜日に弟子たちと最後の食事をされました。今週の木曜日はイエスと弟子たちとの最後の食事(聖餐式の起源)を覚えて、受難週聖餐式を行います。その後、イエスはゲッセマネの園に行き「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られた後、弟子の裏切りによって捕らえられます。裁判が行われるのですが、ポンテオ・ピラトは人々の「十字架につけろ」という声に屈してイエスの無実を知りながら死刑の判決を下します。そして十字架につけられます。

最後は弟子たちも逃げてしまいました。希望も救いもなくイエスは“罪人”として空しく十字架で殺されてしまいます。これが受難週に起こった出来事です。しかし、そこから救いは始まりました。イエスは甦られ、弟子たちは教会を建て、救いの出来事は世界中に伝えらえています。教会は受難週を1年の中で最も大切な時として覚えてきました。受難週の聖書の参考箇所は以下の通りです。

棕梠の主日入場「栄光と賛美と誉れ」
00:00 / 03:55
受難週の聖書箇所

わたしたちの罪を赦し、神様の愛を伝えるために、イエス・キリストは十字架への道を歩まれたことを覚えて受難週の時を過ごしたいと思います。

受難節1
受難節2
受難週について
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