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  • chukyokyokai

「あの方は復活なさったのだ」

ルカによる福音書24章1~12節  イエス・キリストが甦られた。この出来事を最初に目撃した人々の反応はどのようなものだったのでしょうか。女性たちが香油を塗るために、遺体の納められている洞穴に行ってみると、入口を塞いでいた大きな石が動かしてありました。中に入ってみるとイエスの遺体はありませんでした。イエスが復活されたなどと誰も告白していません。女性たちは、お墓に行ってもイエスの遺体がないので途方に暮れていただけでした。その話を聞いた弟子たちは、たわ言のように思われただけでした。お墓に行ったペトロは遺体を包んでいた亜麻布しかなかったので驚きながら家に帰っていきました。女性たちも弟子たちもペトロも、イエスが復活したなどということを信じていませんでした。彼らの最初の反応は戸惑いであり、疑いであり、驚きでした。喜びもなければ感謝もありません。わたしたちが普通に教会でイースターのお祝いをして、イースターエッグを探したり、配ったりしているのとは全く異なる印象です。そこには大きな隔たりがあり違和感があるようにすら感じられます。  しかし、わたしたちもまた最初から信じていたわけでも教会に通っていたわけではありませんでした。女性たちや弟子たち、ペトロと同じように最初は信じていませんでした。しかし、今、わたしたちはここにいます。今ここにいるということは、どこかで何らかの形で、自分の思いを超えた、自分には理解できないような何か大きな力が働いて、教会に導かれたからに他なりません。イエス・キリストが甦られた、という復活の出来事は2000年前の不思議な出来事ではありません。女性たちがお墓に行って、そこには遺体がなかった。話したけれども誰も信じてくれなかった。ただそれだけのことであるならば、それは復活でもなんでもありません。イエス・キリストの復活というのは、わたしたち一人一人の心と体に、イエス・キリストの言葉と復活の力が働くことであり、罪人であるわたしのような者が教会の枝として用いられることです。その時に初めて、あの方は復活なさったと信仰を告白し礼拝をささげ、イースターのお祝いを共にすることがゆるされる。

「あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」この言葉が、今、生きて働いており、わたしたちは既にその力を受けている。キリストの復活の力というのは、お墓に閉じ込められているようなものではなく、2000年の時をこえて、今、世界中に生きて働いています。イエス・キリストが死を打ち破って甦られたように、わたしたちもその復活の力と命にあずかっています。イースターの恵みと祝福を、感謝をもって受け止め、新たな希望を抱いて復活されたイエス・キリストと共に歩んでまいりたいと思います。  2023/4/9(日)

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