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病を癒すイエス
ルカによる福音書5章12~26節 福音書において病をいやす場面が非常に多く登場します。ルカによる福音書では4~8章で既に10回も病をいやす場面が登場します。病と死からの救いは切実な願いです。切実であればこそイエスが病をいやされる場面が多く出てきます。病に侵された時こそ神との関わりが問われます。 病と死の対極にあるのは健康で長生きをすることです。旧約聖書において、家族に恵まれ土地も財産も豊かに持ち子孫も繁栄すること、それこそが神の祝福であると信じられていました。ダビデ王、ソロモン王においてイスラエル王国は頂点に達し、ユダヤ人の歴史上もっとも繁栄した時代を築きました。しかし、その後南北に分裂し、結局、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国もバビロニアに滅ばされてしました。土地も財産も権力も失われてしまいました。 イエスは、金持ちが天の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい、と仰られました。また金持ちたちが、ありあまる財産の中から献金した時、精一杯のわずかな額を献金した貧しいやもめに対して、この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた、と仰っておられます。イエスが病をいやされた人たちというのは「汚れた霊に取りつかれた男」「重い皮膚病を患っている人」「中風の人」「手の萎えた人」「やもめの息子」「悪霊に取りつかれたゲラサの人」とあるように、その多くは当時汚れているとされて、一般の人々の生活からは遠ざけられていた人たちです。ファリサイ派や律法学者たちから罪人つまり人々からも神様からも見放されたとみなされていた人たちでした。 イエスは重い皮膚病を患っている人に対して「よろしい、清くなれ」また中風の人に対して「人よ、あなたの罪は赦された」と仰られました。これらはいずれも、神の愛が届いたということを現しています。イエスにいやされた人たちは、最後、神を賛美しています。神の愛を届けられた者は、喜びと感謝と希望をもって生きていく者へと変えられていきます。 わたしたちは、既に教会に招かれており、神の御手の中に置かれています。健康である人も、病を得ている人も、お金持ちの人も、貧しい人も、すべての身分や境遇に関係なく、人間の利害や損得に関係なく、神様は、大きな愛と憐みをもって、わたしたちを受け入れてくださっています。イエスの語られた言葉、イエスの行った業、その一つ一つに神の愛が宿っている。その神の愛は今も、この教会を通して生きて働いている。すでに、わたしたちは、神様の愛の中に生かされていることを感謝したいと思います。 2022/02/12(日)

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すべて表示ヨハネによる福音書15章11~17節 他の三つの福音書、マタイ、マルコ、ルカにも最後の晩餐の出来事は記されていますが、最後の晩餐での説教が記されているのは、このヨハネによる福音書だけです。イエスがこの最後のメッセージを語られたのは弟子たちが喜びに満たされるためでした。しかし、この後イエスは捕えられ、弟子たちは身の危険が迫って来ると見捨てて逃げてしまいます。そして、イエスは十字架につけられ殺されて