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種を蒔く人のたとえ

更新日:2月23日

ルカによる福音書8章4~15節  有名な、種をまく人のたとえです。たとえの最後でイエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で仰られました。ここで仰られていることは、お互いの話を聞いて、よく理解し合いましょう、と人間同士の心が通い合うということではなくて、それよりももっと根本的なこと、それは、神の言葉を聞く、ということです。「種は神の言葉である。」とイエスは、たとえの中ではっきりと仰られています。

 ルカによる福音書で、神言葉を重んじる印象的な場面がいくつかでてきます。天使がマリアに受胎告知をする場面でマリアは答えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」また、イエスが誕生した後、マリアとヨセフは幼子イエスを連れて神殿に行き、そこでシメオンと出会います。シメオンは、幼子イエスを抱いて「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてください。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」ルカは、神の言葉を聞く、ということがいかに大切であるかを伝えようとしています。マリアに告げられた言葉、シメオンの示された言葉が、神の言葉となり出来事となって現わされる。神言葉が語られ、聞かれる所、それこそが教会であり礼拝です。

 神の言葉は語られている。しかし、受け止めることができない。神の言葉が語られても「彼らは見ても見えず、聞いても理解できない」というようなことが起こってしまう。わたしたちの耳に痛いことかもしれません。御言葉を聞いていても、理解していない。行うことができない。

 幸いなことに、教会は、毎週、日曜日に礼拝が行われます。今日がだめでも来週。来週がだめでもその次。いつも神の言葉は語られ続けています。日曜日に礼拝が行われていること、神の言葉が語られる場所があること、そのこと自体、わたしたちの希望であり、救いです。今がすべてではありません。今はできなくても、この次は神の言葉を聞くことができて、ほんの少し実を結ぶかもしれません。そうでればこそ、イエス・キリストは、聞く耳のある者は聞きなさい。耳のある者は必ず神の言葉を聞くことができる。と大声で叫び、神の言葉を語り続けておられます。

 神の言葉は、今日も、来週も、語られます。神の言葉が正しく語られ、神の言葉が正しく受け止められる限り、教会は、神の愛を世の人々に証しすることができるはずです。神の言葉が、この教会に、わたしたちの心と体に宿ることを信じて、これからも、霊とまことをもって礼拝をささげる群れであり続けたいと思います。  2023/02/05(日)

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